util

ユーザ名:

パスワード:



パスワード紛失

新規登録

関連リンク




メインメニュー

オンライン状況

451 人のユーザが現在オンラインです。 (119 人のユーザが 貿箱フォーラム を参照しています。)

登録ユーザ: 0
ゲスト: 451

もっと...

Ashrmovの最期

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

なし Ashrmovの最期

msg# 1
depth:
0
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2014/8/15 23:04 | 最終変更
ゲスト    投稿数: 0

これは、かつての長大にして無駄に 詳細な説明文で有名だったコンビョーゾ•ヘッドラインの、記事第19番「【社会】Ashrmov,謎の自殺」の詳細である。具体的には、コンビョーゾ警察が後にAshrmovの自室で発見した彼の日誌のようなもので、彼の自殺に至るまでの細かいプロセスが率直に
書いてあった。真実はここにあるので、その全文を掲載しようと思う。

ーーー
520年10月1日

3rdアルバム 「Turning to the Right」を作り終えた達成感で私は満ち満ちていた。
そして、Clabon Theatreでの初演でスタンディングオベーションを浴びてから、ClabonⅡ世の即位式ムードに沸くApologirl市中を歩く。
「クラボンⅡ世って、そういえばどんな顔なのだろう」
興奮した市民。彼らは、果たしてこの王政について理解しているのだろうか。私は、ある程度政治的な事情で飛ばされてきたので、有る程度は理解しているつもりである。この特異なシステム、すなわち三権分立の行政権をクラボン女王が担い、その政治を国民が信じる根拠が国王の人気にあるというシステムは、客観的に見ると問題である。そういえば、今となっては笑い話だが、彼女の肖像画を公募したときにひどく醜いのが送付されてきたうえに、「髑髏を意識した」などと完全に女王を侮辱するようなことを言っていた馬鹿がいてすぐ不敬罪でギロチン送りになった奴がいた。
そんな事を考えるのも私だけだから、なあ…
興奮した市中を歩くのは疲れる。
歩いていても仕方がないので、近くの喫茶店に入ることにした。
言いようもない脱力感に襲われる。
後ろから人の声が。ふと耳を傾けてみる。
「Ashrmovはガトーヴィチ帝国を捨てた裏切り者だろwww」
「クラボンの可愛さに惹かれただけでここに住んでるんでしょ、ピアソン氏もいるのに馬鹿よねえ」
「作曲家とは言うけれど、めちゃくちゃなのしか作らないだろ?実際僕の方がうまいや」
私に対する誹謗中傷だ。考えてみれば、私はこれまでもそういう扱いだった。ガトーヴィチ帝国から飛ばされた時も、
「ぽっと出の何が何だか分からない王国にとりあえずこいつを投げる」という感覚で飛ばされた。そして、まともに帰郷できていない。
そんな人生だった。行く先々、何が起こるかわからない旅だった。その人生の欠片を、時々音楽にぶつけるのが私の生活スタイルだった。
なんだか楽しかったのかもしれないと思えるようになっていく。そうだ。私の人生は楽しいのだ。こんな風に誹謗中傷されるのも面白い。飛ばされてきたコンビョーゾ王国の女王クラボンⅠ世に始めて出会った時の驚きは、今ではぼやけてしまったが、あの頃の若い私はこれから始まる生活にまだ期待できていた。
そんな人生、深刻に生きているのはださい。もう少し愉しまなければならない。子供のように…。そう、私の作曲も楽しみでやっているんだから、こんなに下手などと言われても傷はつかないはずだ。職業作家として真面目に作曲していたら、いずれ倒れてしまうはずだから…

私の故郷、ヴァルヴァルストヴォの雪景色が頭に浮かんだ。そこは恥ずかしながらド田舎で、都市から離れた独自な秩序があった。人々の結びつきが強いが、毎年イヴアングラードに一人で上がっていく人を見かけたものである。
そんな、都会とは全く合わないところで私は比較的幸福に暮らした少年であった。あの頃は中学から成績優秀で皆から会うたびにちやほやされた。
その生活の中で一番思い出に残っているあの人。幼馴染のお姉さんだったか。名前も聞かずにそう呼んでいたような気がする。雪のなかで、二人きりで一緒に遊んだものだ。
その雪のような白い肌、白い髪、その温もりは今でも朧げながら覚えている。確かに彼女と一緒だと幸せだった。
しかし当時の私は馬鹿げていたものだ。
イヴアングラードの最難関高校を皆から勧められ、とりあえず行ったが、都会での下宿生活は私には過酷だった。さらに、都会の高校生とも全く合わない。ある時気がついた。私も彼らと同じであることに。
今ではそれらも思い出の中だ。クラボン女王陛下もかわいいけれど、今思うとあの人は____

しばらくそんなことも思い出さずにせっせと作曲の仕事をしていた。フリューゲルでは数少ない、作曲の仕事で食っている作曲家ではあるけれど、もう少し作曲を志す人が増えれば、私よりもよい作曲家が沢山いるだろうに…。私ははっきり言って下手の横好きで作曲をしている。作曲家を志した中学生の時から…。
そんな風に思っていると、この喫茶店の隣がどうやら建設現場らしく、ヴァルヴァルストヴォ出身と思われる、鳶職の人が活発に活動していた。私は彼らとは全く馴染んだことがない。彼らは私を見ると必ず舌打ちして、私は逃げるように去って行く。この繰り返しである。彼らは自由とは言えないが、私より活発であることは否めない。身分の問題だ。私はヴァルヴァルストヴォ出身の官僚だからヴァルヴァルストヴォ人からは妬まれることはわかっている。私は裏切り者だ。面白いじゃないか。

しかし今はコンビョーゾ音楽大学の校長として、作曲を教える仕事がある。あまり本業の作曲をしなくなると、自分の存在意義は?と思うようになる。自分の意思で行動出来ていないことに気がつく。官僚生活とはどうやらそう言うものらしい。私は作曲は好きだけれど音楽を教えることが苦手である。そのせいか生徒の数も他の大学より少ない。それで、疲ればかりがたまっていき、何もしない時間が長くなっている。
それで、作曲は最近はコンビョーゾ王国ガトーヴィチ帝国双方の政府から注文されたプロパガンダが非常に多くなった。3rdアルバムなど、そういえば
9の内の4はプロパガンダではないか。自分の望むような作曲活動が出来ていないことに、今ようやく気がついた。
やはり職業作曲家というのはそういう定めにあるのだろうか。

520年10月2日

暗い気持ちから逃げ出すために、昨日は早めに寝た。元から寝つくまでに時間がかかる人だったが、昨日は悪夢にうなされて余計に寝られなかった。
それはあてもなく、だだっ広い異国の街を歩いている夢であった。その街にはあるはずの活気がなく、誰もおらず、廃墟が並んでいた。空腹と疲労感もピークに達したそのとき、見覚えのある、肌の白いあの人を見つけた。あの人は僕に向かって歩いてきた。僕は何か言いたかったが何分長い間会っていないので何も言えなかった。すると、その人は「私もあなたと同じ」と言った。私はその意味が俄かには解らなかったが、それを考えている内に彼女は僕をナイフで刺したのだった。そして、自分も倒れる。___
私は起きた。その寝ぼけた頭で思考するに、何かあったのであろう。そういえば、音楽大学も今は卒業式後、少し暇がある。彼女の現況について調べられることがあるかもしれない。久しぶりに帰郷してみよう。
イヴァングラード国際空港。ダイヤが昔のより大幅に増便されて、周辺住民は大丈夫なのかと思いながら、ドィームに向かう電車に乗り込む。
ガトーヴィチ帝国の交通の便が、私がいた頃よりよくなっているのに驚きながら、ヴァルヴァルストヴォに行く。相変わらずのド田舎だった。私が来たのを見たヴァルヴァルストヴォ人は私に石を投げた。村八分だ。田舎の性質である。仕方がない。それにもめげずに、私の実家に行く。親に彼女のことを聞こう。
親は、もちろん彼女の名前を知っていた。
それで、まだヴァルヴァルストヴォにいるということで、彼女の家に行ってみたが。
その家の窓から奇声が聞こえてきた。
インターホンを押すと男性が出てくる。彼女の名前を挙げると「ああ、出かけてます」と。
怪しいとおもい、窓を少し覗いてみると、そこには鎖に繋がれ、全身あざだらけの彼女がいた。彼女の目に光はなかった。事態は直ぐに把握出来た。
「お前の昔の友達かなんかに邪魔された、イラつくー」
「まさか、その人…」
「あぁ!?お前は俺だけ見てればいいんだ!」
そう言って、彼女を殴りつけた。何度も。
それを見てはいけないのはわかっているのだが、彼女から目が離せなかった。彼女に加えられる暴行の様子を、僕は見ているしかなかった。直ぐに帰るべきなのはわかっているのに、見てしまう…。
「こら!またお前か!人の部屋覗き見んじゃねー!」
彼はドアの方向に行った。
殺気を感じ、僕はヴァルヴァルストヴォから逃げた。そして、コンビョーゾに逃げ帰り、自室で絶望に暮れた。
やはり、そのようなことに私は関心を持つべきではなかったのだ。人を愛するにはもう遅すぎた。そういえば前からそのようなことに関する話は、私にだけは回ってこなかった。私はそういう人だ。それが悔しくて家の窓を覗き見るのが馬鹿げたことであった。生涯独身。私には当然のことだったのだ。
もういい。私には何もなくなった。この世界などとはおさらばだ。
ーーー

彼の日誌の本文はここで終わりである。その次のページから、彼が構築していた追悼アルバムの曲順と、そこに終曲として収録された、遺作「告別」の楽譜が続く。しかし、この曲が発表された直後にコンビョーゾ王国が滅亡したので、この曲の音源は現在ガトーヴィチ帝国にマスターテープがあるのみである。最終ページは切り取られており、遺書に使われたと思われる。

その遺書には、次のようにあった。
ーーー
私に生きる意味がなくなりました。人生を終わります。思えば私は様々な人にこき使われ、自分のために時間を使っていなかった。馬鹿なものです。
そして、自分のための時間の過ごし方を忘れた。
もう生きていても意味がない。
とにかく、馬鹿だったんです。

思えば、馬鹿なことばかりで、悪い思い出が多かった。人に嫌がらせをされた時も多々あった。
私の作曲家としての仕事もこれでおしまい。私より上手い後進の音楽を楽しんでください。
そういえば、子供のころはいい思い出もあったかな。あの人がいたから今でも生きて行けたのかもしれない。
でもその人には今、自由がない。心すら失われた。死んだも同然だ。
ここまで馬鹿な人生もないものだから、馬鹿みたく自殺します。

てか、ここまで大仰に書いて来たけど、私のことなんかなんとも思わないですね。そうですね。気にかけてくれると思っていた私が馬鹿でしたね。それじゃさっさと死にます、ではまた

ーーー

彼の遺体は、コンビョーゾ音楽大学に埋められた。享年57。
彼について詳しい資料を求めるならば、コンビョーゾの記述だけでなく、彼の出身国であるガトーヴィチ帝国の資料集なども参考になると思う。

ーーー
中の人です。私のことはもう忘れたでしょう…発展の道半ばで突然消滅したコンビョーゾ王国。その原因が実は彼にあるのではないか。そう思います。そこで、コンビョーゾ•ヘッドラインで最短にして最も謎の多い記事の、詳細を載せました。
余談ですが、本文中に出てきた「追悼アルバム」は実在し、「Ashrmovの告別式で配られたCDがひどい件」という名前で知人に配布しています。その中に告別も入っていますので、万が一聞きたかったら連絡してください。

投票数:0 平均点:0.00

  条件検索へ