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社会主義のお話
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- 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/14 1:10)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/18 20:47)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/19 19:57)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/22 12:50)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/23 18:55)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/24 19:37)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/3/31 23:00)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/4/1 22:40)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/4/3 21:04)
- Re: 社会主義のお話 (ヴェールヌイ社会主義共和国, 2015/4/13 2:33)
やぁ、ヴェールヌイだよ。社会主義共和制国家を自称してるよ。
先輩たちに聞いたところ、このフリューゲル世界では、時々思い出したみたいに社会主義が流行すると聞いたよ。私がここに生まれたのも、そんな流行の最中だったみたいだね。一瞬で見る影もねぇな
ヴェールヌイは民主主義や人権を尊ぶ国だよ。宗教に侵された悪そうな国以外とは見境なくみんなと仲良くしていこうって思ってるんだ。
けど私がそんなロールプレイをしてたら「社会主義国なのにおかしい」「共産圏国家のくせにブレてる!」と言われるよ。なんでみんなそんなにスターリニズムに傾倒しちゃってるわけなんだろう・・・。
だから今日は簡単に「社会主義とは何か」って話をさせてもらおうかなって・・・あ、そんな難しい話じゃないし、できない。
私も学者じゃないからね。
けど貴方が今後この世界に社会主義国としてデビューしたり、国内で革命を起こす予定があるなら、ちょっとは参考になればいいなって、そう思いながら書いていこうと思うよ。同志増やすよ!
「それくらい誰でも知ってるよ!」ってことがあっても寛容な心で読んでくれると嬉しいな。
みんなは社会主義と聞いたら何を連想するのかな。
マルクス・レーニン?やっぱり俺達のソ連?憧れる!
Ураааааааа!!
じゃあ、ナポレオンやチェンバレンを思い起こす人はどれくらいいるだろう?
ナポレオンは共和制を廃して皇帝となった独裁者で、チェンバレンは紛うことなく帝国主義者だった。
しかし彼らは、内政面では社会主義政策を採用していたんだね。
ナポレオンの時代は「皇帝社会主義」チェンバレンの姿勢は「社会帝国主義」なんて呼ばれてるよ。
ヒトラーはみんなご存知「国家社会主義」
ムッソリーニは親の代から社会主義運動家で、レーニンの盟友だったんだ。
勿論↑にあげたのは極端な例だけどね。
私が強調したいのは、社会主義はひとつではなくて、その内実は多種多様だってことなんだ。
けど、近代社会主義がどんなに多種多様だと言ったところで、何らかの形で反自由主義(さらにいえば反自由競争経済)という面で共通する。反自由主義が社会主義なのかといえば、それは違うんだけどさ・・・。
大戦中の日本は極めて反自由主義的であったけど、そこに社会主義的意図があったわけじゃないでしょう?
自由主義ってのは、根本理念は単純なものだと思う。
それに比べて社会主義は遥かに混みいっていて、おまけに学派や党派によって位置づけも異なる。さらに面倒くさくなってる要因として「社会主義」「社会民主主義」「共産主義」といった用語が、客観的に弁別されぬまま世間に広がっていることも、混乱に拍車をかけてるわけなんだ。
こうした形式的区別は非常に重要な論点なんだけど、今回は社会主義の基本の基本についての話だから、あえて無視するよ。
あらゆる多様な要素、立場や理論を全て無視した場合、社会主義とは何なのか。
もう誤解を恐れず断言するけど「生産手段の私的所有の否定」これだけなんだ。
生産活動が個人の金儲けの手段にならないように、理性的な(公共的といってもいいのかな)意思決定の元に統制されること。もっっと簡単に言うと、何をどれだけ生産するのか、その価格はいくらで、労働時間や賃金はいくらなのか等々を私的な意思や市場原理に委ねないで、人民の参政権が及ぶ機関が全て決定するってことなんだよ。
おーーーっとここで注意が必要だよ!
たしかに社会主義は「私的な金儲け」がすごく制限されちゃう。けどこれは「私有財産」を否定しているわけじゃないんだ。社会主義であっても、ある個人が正当に獲得したものは、当然その個人の私的財産だよ。この点を誤解すると・・・じゃーん!カンボジア(ポル・ポト)の出来上がり!悲惨なユートピア幻想が襲いかかる!
まぁけど事実、現実に社会主義を掲げた国々は、正しい知識を持たない大衆を、一部の独裁者が一方的に指導して、個人の私的自由まで不当に統制したわけなんだよね。
社会主義は国家権力が生産活動を統制する・・・だけどそれは国家権力による抑圧に転化する傾向があった。
革命で権力を奪取して、無理やり社会主義化を推進すると、どうしてもそうなっちゃうんだろうね。これは大国になればなるほど、統治に強大な権力が必要とされているから、その傾向が強くなるよ。
うん、だから本来の社会主義というのは国家の枠組みで遂行するものではなくて、国際的制度として構想されたものだったし、一国社会主義という時点で問題が沢山発生してしまうんだ。
同じことの繰り返し的なまとめになるけど・・・・
社会主義的な意味での国家統制の主眼は、生産活動が特定の者に主導されることをさけるために、それを参政権の及ぶ範囲に置くこと。具体的には、社会主義国は民間主導の自由な営利的な生産活動を排し、正当な国家権力が指導する公正な生産活動を旨とする。Ураааааааа!!
国家権力による統制を、国家権力による抑圧と混同してしまうと、社会主義の意味が理解できなくなる。
これは社会主義に限ったことではなくて、最も正当な統治を実現するのは、定義上は国民が選んだ公権力にほかならない。
今回は?これまで!
労働運動と社会主義思想の違いとか皇帝社会主義の話とか、フリューゲルにはインターナショナルがあるから第二インターナショナルの話とか、してみたい話は色々あるけれど、あんまりみなさん興味がないかもしれないし、俺のほうがもっと上手く説明できわ糞が!と思われてるかもしれないから一旦この辺で止めておくよ。
反共反響があったら、また書くよ!Спасибо!Здравствуй!
こんにちは、こんばんは、ヴェールヌイだよ。
前回に引き続き社会主義のお勉強だ。
不足もあるとは思うけど、お手柔らかにお付き合いしてくれると嬉しい。
ついてこれない人は置いていくよ!
ちなみに第一回は主に私の国の疑問についての回答として書いたつもりだったけど、これからは社会主義・共産主義国でプレイする人や、これに関わる人達(反共とか対立する人も含めて)が外交をする上で、今よりディティールアップする為の参考にできるように頑張るよ。
けど多分今回は前回よりも簡単で誰でも知ってるお話だ。けど順を追わないと齟齬が出ても困るから、基礎から追っていくしかないんだ。それくらい社会主義というのは誤解や錯綜で埋め尽くされているからね。理解してほしい。
前回はシンプルに「社会主義とは生産手段の私的所有の否定である」というお話をさせてもらったね。今回はその続きからはじめよう。
社会主義は、生産活動を私的自由や市場原理に委ねることを拒絶する。つまるところ、社会主義の原点は「資本主義の廃絶」にあるわけだ。ということは、資本主義を廃絶するためには、資本主義が存在していなければならないということになる。歴史的に見ても、固有の意味での社会主義は、資本主義が誕生した後に、それに代わる対立軸として提起されたものなんだ。では何で資本主義を廃絶しなければいけないんだろう?社会主義は資本主義の一体なにを問題にして、それを打ち倒そうと考えるのか、これを解明しなくちゃいけない。
マルクスは、資本論の冒頭で「資本主義的生産様式が支配的に行われている社会」に問題があると言った。ここで確認しておかなくちゃいけないのは、資本主義も「生産」という活動の一様式だということだよ。マルクスはあくまで「生産様式」に着目したのであって「私的な生活様式」は問題にしていないんだ。もう少し詳しく説明すると、私的所有の次元に現れる問題もまた、根本は全般的な生産様式が原因なんだと考えた、ということ。この点でマルクスの理論は「原始的な平等社会への単純な夢想とは一線を画している」と言えるんだよ。
順をおっていくよ。じゃあ「生産様式」ってなんなのさ。
勿論、手工業と機械工業の違いだとか、技術的な事柄のことではないよ。生産活動という営みを、社会的側面から類型化したもの・・・言ってしまえば「人間にとって生産活動とは何か?」ということだよ。これには、生産活動が、どのような人間関係に基いて行われるのか、ということも含まれる。
ためしに私が何かを生産するとしよう。そうだな・・・じゃあうちは昨日ウラン鉱山が吹き飛んでしまったので(涙)節電もかねて、冬を乗り切るために手編みのセーターでも作ろうか。何のためにセーターを縫うのか、この場合は自分が着るためだよね。衣服を生産するというのは、最終的には誰かが着用できるようにするわけだ。人間は、長い歴史の中で、自分自身が着るために、あるいは自分の家族、さらには自分が所属する共同体の仲間が着るために、必要な衣服を生産してきた。
これに対して、現代の我々が着る衣服は、ほとんどの場合、衣料品製造業者が、赤の他人に販売するために生産した商品だろう。あいにく私には手編みのセーターを作ってくれるパートナーはまだいない。赤の他人が生産した商品を金で買うのだ。衣服だろうが、食物だろうが、基本的には全て商品として生産されるのだ。
他方、自分や家族が着るために生産した衣服は、有用な富であることに違いはないよ。しかしそれは決して商品ではない。商品とは、マーケットにおいて、赤の他人同士で売買される物やサービスのことである。これはつまり、商品生産の第一の目的が、自ら(もしくはそのコミュニティ)が使用することでなく、売りさばいて金を儲けることになっているってことだね。だから「資本主義的な生産様式が支配的に行われている社会」の富は「商品の集まり」によって現されるようになるんだよ。
重要な点は、生産活動が、自分たちの必要や欲求を満たす行為ではなくなって、金儲けの手段と化したことだ。こうなると、人間にとって生産活動とは何かという次元が大きく変質する。自分やその家族が着たり食べたりするためならば、その消費量を越えて生産したって疲れるだけで、非合理的だと言わざるをえないよね。だけど金儲けのために生産するとなると、最小限のコストで最大限の生産を行い、少しでも多く売りさばき、そして1Vaでも多くのお金を手に入れることこそが、生産活動の最重要課題になるわけ。これはつまり、自分が着るための衣服も満足に持たない貧しい労働者が、懸命に働いて一日に何千着もの衣服を生産したって、それはけして本末転倒なこととは言えないんだ。
けどまって?生産物の商品化自体は、その規模や広がりを無視すれば、そうとう昔から行われているよね?それこそ商業の歴史というのは、はるか古代文明にまで遡る話。けど、ほとんどの生産活動が、初めから商品生産による利潤の追求を自己目的化するようになったのは「資本主義的な生産様式が支配的に行われている社会」が登場してからのことなんだよ。そこでは生産活動の原動力が、実際にものを作る人間ではなく、金儲けを目論む人間に託されることになった。これこそがマルクスの言う「資本主義的な生産」に他ならないんだ。
資本主義社会において、生産活動の主役は、金儲けを行う人間であって、生産活動を担う人間(労働者)ではないのだ。
つづく?
Спасибо!Здравствуй!
Здравствуйте!
ヴェールヌイだ。
資本主義なくして社会主義なし!
前回は、そもそも資本主義とは何かというお話を簡単にさせてもらったよ。
さて、そんなわけで資本主義が抱える矛盾が顕在化するにつれて、変革を求める声が上がりはじめることになるよ。労働運動のはじまりだ。
今回は19世紀のヨーロッパでの例から、労働運動と社会主義の関係性について整理していこう。
その前に前回のおさらい、というか補足だけさせてもらうね。
マルクスは、実際に物やサービスを生産する労働者が、金儲けを目論む資本家に従属し、さらには搾取されるような事態は矛盾していると考えた。生産によって得られた利益は、それを実際に生産した者に享受されるのが当然じゃないのか?それなのに、労働によって、実際に富を生み出している者が、どうして貧しいのか・・・。
この単純明快な矛盾の源泉を「生産手段の私的所有」と「労働力の商品化」に求めたんだね。
重要な点は、資本主義社会において、労働によって生み出される財やサービスだけでなく、労働力そのものもまた1つの商品だという事実だよ。衣服だろうが、食物だろうが、労働力だろうが、それが商品である限り、買う側からすれば、値段が安いに越したことはないよね。しかし売る側の立場は、もちろん全く逆になる。それを調節するとされるのが、市場原理だというわけ。要するに、万人に等しく開かれた透明な市場が、その自動調整機能を通じて、適正価格への指向性を発揮するという理屈なんだ。
うーん、たしかに売り手と買い手の立場がまったくの対等なのであれば、その理屈も成り立つのかもしれないよ?だけど、少なくとも労働力の売買においては、決して対等では無いんだ。買い手は、金儲けのために生産手段を私的に所有する資本家で、売り手は生産手段を持たず、生きていくために労働力を売るしかない賃金労働者だ。この二者は別々の階級に所属する人間であって、対等な当事者ではない。一方は「資本家階級」他方は「労働者階級」ということだね。
マルクスが捉える階級社会というのは、単なる格差社会や階層社会の事ではなくて、客観的、二分法的なもので、究極のところ、生産手段を私有するか否か、それだけを基準にしているんだよ。
労働市場が不平等であることの根源は「等価交換のトリック」つまり労働力の価格が、その労働の持つ価値によってではなく、労働者の生活費によって決められていることにある。一ヶ月の生活費が10万円なら、その労働者が100万円分の価値を生み出す働きをしても、資本家は10万円支払うだけで、等価交換が成立してしまう。これが利潤の源泉だ。資本家は、自分に有利な買い物ができる時だけ労働力を買えば良いけれど、労働者は、いかに不利な売買条件であれ、ともかく労働力を売らねばならない。こうして賃金は常に買い叩かれ、労働者の生み出した利益の大半が、生産手段の所有者に渡るという事態が発生するんだね。資本主義的な生産様式が、利潤の獲得を目的にしている以上、この現象は避けられないものなんだ。
さて、やっと今回のテーマに入っていくよ。
労働に携わる人間は、労働によって、以前にもまして多くの財やサービスを生み出しているのに、なぜ豊かになるどころか、逆に貧しくなるんだろう。豊かな人間よりも、貧しい人間を多く生み出すような生産様式は、目指すべきものではなく、むしろゴミ箱に放り投げるべきものじゃないのか・・・?このような疑問が、19世紀ヨーロッパで芽生え始めたんだ。
言うまでもなく、この発想の背後にあるのは、市民革命の経験だ。絶対王政を打ち倒し、封建的な奴隷状態から解放されたという歴史的経験が、ヨーロッパの人々に対して、世の中は自分たちの力で変革できるのだという確信を植え付けていたんだ。
この異議申し立ては、思想面では社会主義として、実践面では労働運動として台頭して来ることになるよ。その発祥の地は、どちらもイギリスだ。当然だよね。資本主義があってこその社会主義。世界に先駆けて資本主義的生産様式を実践した国で、それに対する最初の抵抗が発生したってことだもんね。
ただし、社会主義理論と労働運動は、重複する部分は多いけれど、必ずしも相互に連動していたわけでは無いんだよね。歴史的に見れば、社会主義と無関係な労働運動も数多いんだ。
労働運動の直接的な目的は、労働者階級の具体的な利益に他ならない。労働者は、思想や信条の殉教者ではないのだから、これもまた当然のことだった。そこでは未来の理想よりも、今日の生活の方が重要だから、妥協であれ、対処療法的であれ、常に現実的な問題解決を志向する傾向にならざるを得なかったんだよ。
他方、社会主義の理論や思想は、働く人間の利益や権利を肯定するとはいえ、必ずしもすぐさま実利に直結するものじゃない。むしろ逆に、目先の利益がどうあれ、問題の根本的解決を志向している。
そもそも、社会主義を生み出したのは労働者ではなくて、知識人(19世紀においては上流階層)の中から生まれたものなんだ。だからそれを広めようとする運動は、労働運動とは別の文脈で展開されることも多かった。社会主義と無関係な労働運動が数多く存在したように、労働者のいない社会主義運動も数多く存在したんだよ。
ところが結局のところ、労働者のいない社会主義運動は、大きな政治勢力を構成できないわけであって、社会主義運動が実を結ぶためには、労働運動と連帯し、その支持を得ることが不可欠だということがわかってくる。となると、現実問題として、社会主義運動は、労働者階級の具体的な利益にも配慮しなくてはいけなくなっちゃう。こうして社会主義運動は、社会主義の原則や理論がどうあれ、労働者を味方につけることが、運動の重要課題となっていったんだ。
あちらを立てればこちらが立たず。こうなってくると、社会主義運動と社会主義理論の間に、微妙な亀裂が生じ始める。社会主義理論と矛盾するような社会主義運動もまた、増えていくことになるんだ。
前途多難なところで今回はおしまい。
どうも戦争がはじまりそうだし(投稿時期は20969期582年6月)次回はちょっと間を空けてから投稿することにするよ
みんなに幸せが訪れますように
それじゃДо свидания!
Здравствуйте!
ヴェールヌイだ。
こんなシリーズを書いてると心配になってくるのだけれど、私はコミュニストでもなんでもないからね。
ただの共産趣味者のはしくれ、誤解がないように、一応ね。
今回は「社会主義とは何か」についての総まとめになるよ。以降は歴史の話に入って行くことになるけど、とりあえず基礎部分は今回でおしまいになる。
前回は、19世紀ヨーロッパにおける資本主義への異議申立てが、思想面では社会主義理論、実践面では労働運動として台頭したけれども、社会主義運動と労働運動は同じものではなかったし、社会主義理論と社会主義運動も同じではなかったというお話だったね。
それと同様、あたりまえのことだけれど、社会主義を掲げる国家の誕生は、社会主義を実現した国家の誕生と同じではなかった。そうであるはずなのに、歴史を振り返れば「社会主義理論」「労働運動」「社会主義運動」「社会主義国」といった事柄が、切り離しづらく錯綜していて、現代でも誤解の温床となっているんだ。その意味で、純粋な形での社会主義は観念の中にしか存在しないものなのかもしれないね。
けど、社会主義が観念であるならば、資本主義もまた観念でしかないんだ。
現実の世界に、完全な形での資本主義が存在していないことがその証拠だよ。警察や軍隊が国営や公営であることを除いても、近代化した文明社会において、貨幣や兵器や麻薬などの製造を、バケツやスリッパの製造と同列視して、それらを全て自由な資本主義経済に委ねるような事態は、まず起こりえないもんね。教育や医療の、交通等に関しても同じようなことが言えるんじゃないかな。
社会主義は資本主義を打倒し、乗り越えようとする。けど、そもそも乗り越えようとする対象が、観念的な存在に過ぎない。異なる観念を打倒できるのは、結局のところ、別の観念だけだ。それを現実世界で実行しようとするわけだから、事態が錯綜しないわけがないんだ。もうめちゃくちゃなことになる。
資本主義であれ、社会主義であれ、その完全な姿を現実社会に見つけることは、絶対に不可能なんだ。これをまず認識しなくてはならないよ。
社会主義は、資本主義と同じく、信奉すべき理想ではないにしても、単なる妄想や空論ではない。逆にどちらかを絶対的な善として信奉してしまうと、妄想や暴走の世界に迷い込んでしまう。そんな歴史もいっぱい存在しているね。
社会主義は、完全な形で実現できる制度ではない。現実世界を地上の楽園に変える魔法ではないんだ。だから、社会主義の理論や思想を、実現不可能な理念だと非難したところで、実のところ、あまり意味はないんだよね。だって当たり前のことすぎるんだもの。現実の資本主義にしても、ツギハギだらけの資本主義に過ぎないのだから。
それでもなお、社会主義には、それなりの根拠と存在理由があった。
ベルリンの壁が崩壊し、ソビエト連邦が解体されようとも、社会主義が提起した問題意識は、そう簡単に却下され得るものではない。実際、21世紀に入って以後も、ヨーロッパの国々の多くでは、社会主義を掲げる諸政党が(程度に差はあるけど)脈々と一定の勢力を保ち続けているよね。いかにツギハギを施そうとも、資本主義が抱える難点は、少なくとも根本的次元において、何一つ解決していないんだから、突然のことなんだ。
自由競争、自由経済、自由市場、自由貿易、金融自由化などの実現によって、さらには飛躍的な経済発展によって、飢餓人口や貧困や生活苦が減少しただろうか?
人々の多くが富を生産することに比例して、人々の社会生活が安楽なものになっただろうか?
そうでないのなら、現行の社会システムは、皆で懸命に維持すべきものでなく、やはり改変すべきものではないのか?
数々の挫折や敗北を越えて、社会主義を支え続けているのは、このような問題意識に他ならない。
そして、それは断じて机上の空論に属するものではなく、多くの矛盾や葛藤を抱えながらも、極めて率直で、論理的な問題意識だといえるんじゃないかな。
率直で論理的な問題意識と、矛盾と混乱に満ちた展開。実在する社会主義は、これらを合わせたものであって、それ以上でも以下でもない。だから、社会主義を理解するためには、それが辿ってきた歴史を知る必要がでてくる。
現実の社会主義を知ることは、マルクスの著作を知ることと同じではないし、社会主義の歴史を知ることは、有名な社会主義者の奮戦記を知ることと同じでは断じて無いんだ。
はい、というわけで今回はこれだけで終わりです!
個人的には、書き始めた動機にあたる部分、つまり言いたかったことは実はこれでおしまいなんだよね。このフリューゲル世界をはじめ、箱国系の社会主義や共産主義というのは、程度に差はあれ、現実に存在した多種多様な社会主義運動のキメラでしかない。そして、実践面においては歴史のなぞり返しばかりだ。これに相対する側も、個別の社会主義者や共産主義者に対して、実際の歴史がどのように対応したのか、その表面部分をなぞることをする。
だから私は、たまには地球での実践での歴史展開を無視し、理論面だけをなぞって独自に武装した社会主義国があってもいいんじゃないかと思って、そんなプレイを心がけているよ。これはただの自己満足の話だからどうでもいいんだけどね。ごめんなさい。
さて、この「社会主義の話」は書きながら自分の勉強のし直し、整理にも役立つものだからみんなの興味のあるなしを完全に無視してまだまだ続けていくよ!暴走するよ!
次回からは本格的に歴史を辿って、社会主義の輪郭形成について、その草分けとなった「空想的社会主義者」の話から続けていこうかなと思うよ。オーウェン、サン・サンシモン、フーリエとかその辺だね。
もうどこで区切りをつけて終わればいいのかわからなくなってるよ。
それじゃあまたよろしく。
До свидания!
Здравствуйте
ヴェールヌイだ。
社会主義と共産主義の違いについて早く説明したくて仕方がない今日この頃だよ。
その前に、前回の予告通り、今回は社会主義理論と思想の草分け的存在である、空想的社会主義者について見ていくことにしよう。
【<<空想的>>社会主義者】
社会主義という考え方は、1830年代、まずはイギリス、次いでフランスで姿を現したと言われているよ。
そこで鍵になる人物は、イギリスではロバート・オーウェン、フランスではアンリ・ド・サン・シモンとシャルル・フーリエだ。
この三人の人物を、日本で有名にしたのはマルクスとエンゲルスの「共産党宣言」だろうね。
その中で、オーウェン、サン・シモン、フーリエの三人は、いわゆる「空想的社会主義者」のレッテルを貼られたんだ。
となると、まるで1830年代の社会主義思想が、空想や妄想レベルのものだったって言ってるように取れるよね。
けどこれは大きな間違い、誤解のひとつだ。
マルクスは「空想的」という修飾辞を、必ずしも妄想や空論を断罪する意味で使ったわけじゃないんだよ。むしろマルクスは、共産党宣言の第三章において、この三人を実は高く評価しているんだ。
ただ、マルクスやエンゲルスにとって、この三人は古い世代の社会主義者だった。特に、実践面において古く感じたんだろうね。この三人の「空想的社会主義者」の中で、一番若いのは1772年生まれのフーリエなんだけど、それでも1818年生まれのマルクスに比べれば、その年齢差は坂本竜馬と吉田茂よりも大きいんだからね。そう考えると「空想的」のニュアンスもわかってくるでしょ?
新しい日本の夜明けを夢見た坂本竜馬にとって、近代化した日本の姿は「空想」するものでしかなかった。同様に「空想的社会主義者」達の思想もまた、未来社会の空想的描写にならざるをえないにきまってるんだ。
その意味で、マルクスから見れば、三人の「空想的社会主義者」の思想や理論は、すでに現実味を失ったものに映ったんだろうね。たしかに両者の間には、世代の違いもあって、いくつもの対立点が存在する。それでも、あえて巨視的に見れば、「空想的社会主義者」の三人も、マルクスも、全て19世紀に活躍した社会主義者なのであって、根本的な次元では多くの論点を共有しているんだよ。とりわけサン・シモンとマルクスは、理論面で接点が多く見出せるんじゃないかな。
【マルクスもエンゲルスも社会主義者に分類される】
よくあるけど、マルクスを絶対視したり、全否定する態度は利口じゃないね。素直に考えれば、マルクスだって、社会主義の世の中など実在しない時代に、それを空想したにすぎない。だからと言って、その思想や理論が輝きを失ってしまったわけではないでしょう。ただそれだけのことだよ。
そのことを理解するために、もう一度社会主義の基本定義を思い出してみよう。
社会主義とは、生産活動が私的な金儲けの手段と化さないよう、それを理性的な意思決定のもとに統制することである、だったよね。
これに照らすと、マルクスとサン・シモンに決定的な違いはない。両者とも、生産活動の理性的な統制を基本に置いた点では大差ないんだよね。
ちなみにサン・シモンは、フランス社会主義の創始者とされる思想家で、その著書である「産業体制論」や「産業者の教理問答」は、国民の大多数を成した貧困層の境遇改善を強く訴えた作品として知られているよ。たしかに、サン・シモン自体は、エリート層(世襲為政者ではなく産業指導者や知識人)による統治を支持していたし、ユートピア的な平等社会を肯定していた。だけど、主眼はあくまで統制経済による貧困の解消と豊かさの実現であって、エリート統治は手段に過ぎないし、平等社会もまた、その帰結にすぎなかった。マルクスよりも60歳近くも歳上のサン・シモンにとって、労働者階級が政治の主役となり、自らの力で望ましい社会を実現することなど、空想することもできなかったに違いない。当時、生産活動を理性的に統制する能力を持つのは、エリート層であって、労働者大衆ではなかったんだね。まぁその認識が、マルクスの時点からみれば古臭いってことだったんだろうけどさ。
けどマルクスにしたって、労働者大衆の政権担当能力を「空想」したに過ぎない。マルクスの著書を読み、その理論を理解し、その主張を真に実現する能力を持っていたのは、結果的にどのような人々だったのか・・・その現実を直視しなくちゃいけないね・・・。
ともあれ、サン・シモンの思考は、生産活動の統制と組織化という発想に関する限りでは、完全に社会主義の本質を突いていた。
フランスの社会学者、デュルケムは、オーウェン、サン・シモン、フーリエ、マルクスの四人を全て「社会主義者」だと規定した。この規定は、デュルケムが「社会主義」と「共産主義」を区別した上で分類したものだ。これは要するに、自ら共産党を宣言したマルクスを、共産主義者ではなく、あえて社会主義者に分類したってことだよ。この判断は、政治的立場上の都合ではなく、真に学問的なものだ。デュルケムは、政争に巻き込まれて混乱した用語法を、改めて整理し直そうとしたんだ。
では、共産主義とは何なのか。共産主義者とは誰なのか。
次回はついに、この問題について見ていくことになるよ!
つづく!
До свидания!
Здравствуйте!
ヴェールヌイだ。
今回は、皆さんおまちかね?の「共産主義」について紐解いていこう。
ちょっと長くなるけど、一気に説明していくよ。
フリューゲルの共産主義勢力諸氏は心して読みなさい!
【日常会話で誤用される共産主義】
共産主義とは何か。お手元の辞書で調べてみてほしい。
ちなみに広辞苑で共産主義を引いてみると、以下のように記載されている。
(1)私有財産制の否定と共有財産制の実現によって、貧富の差をなくそうとする思想・運動。古くはプラトンなどにも見られるが、主としてマルクスエンゲルスによって体系づけられたものを指す。
(2)プロレタリア革命を通じて実現される、生産手段の社会的所有に立脚する社会体制。
?????wwwwww
突然草を生やしてごめんなさい。
いや、この広辞苑による説明は、日本語の中で現に使われている「共産主義」という単語の意味としては、まったく正しい。だから怒らないでね岩波書店さん。
しかし、社会科学に照らした場合、広辞苑によるこの説明は、相当混乱していると言わざるを得ないんだ。ここまでこのシリーズを読み進めてくれた方なら、もうこのおかしさに気づけるんじゃないかな?
前回触れた、デュルケムが整理しようとしたのも、まさしくこの混乱に他ならなかった。
この(1)に登場する「主としてマルクスエンゲルスによって体系づけられたものを指す」を、そっくり(2)の方に持っていけば、わりと収まるんだけどねぇ・・・。怒らないでね岩波書店さん。
つまり、マルクスの基本姿勢は「古くはプラトンなどにも見られる」(1)の方にあるのではなくて、「生産手段の社会的所有に立脚する」(2)の方にあるってことだ。
デュルケムは、(1)の「私有財産制の否定と共有財産制の実現によって、貧富の差をなくそうとする思想・運動」を共産主義と呼び、(2)の「生産手段の社会的所有に立脚する社会体制」を社会主義と呼んだんだ。この定義でいけば、マルクスは当然(2)の社会主義に分類されるということだね。少なくともデュルケムにとっては、だけどさ。
しかしながら、共産主義という用語は、プラトンの時代から通用していたわけではない。共産主義という言葉が、現在と同等の意味で使われるようになったのは、社会主義より少し遅く、1840年代に入ってからの事だった。ただし、コミュニスト(現在では共産主義者の意)やコミュニズム(現在では共産主義の意)といった単語そのものは中世から存在していたので、どこからが近代的な用法なのか、判断するのは非常に難しい。ラテン語のコムムニス(communis)という言葉にまで遡れば・・・・あーもうこれわかんないな。
ま、まぁともあれ、共産主義という語を、近代的な意味で用いた最初期の事例として広く知られているのは、エチエンヌ・カベーの「共産主義的信条」という書物ということになっている。これは先出の広辞苑の説明に照らせば、明らかに(1)の系列に属する内容となっているよ。すなわち、カベーの思想は、私有財産のないユートピア社会を基本的な準拠点とするものだったんだ。ただし、カベーは、古代や中世の人物ではない。カベーの「共産主義的信条」と、マルクスとエンゲルスによる「共産党宣言」は、ともに1840年代の出版物だ。その差はわずか5~6年だった。これはいったい・・・?
【混乱の真犯人~二つの共産主義~】
同じ1840年代に、同じく共産主義を標榜したマルクスとカベーは、本質面で別種の考えをもっていた。これが混乱の源泉となっている。それにしても、なぜマルクスとエンゲルスは、自ら共産主義者を名乗ったのだろう?後世、デュルケムに整理されて、完全に社会主義者の側に分類されるというのに。カベーが「共産主義的信条」を出した数年後に、それとは別系列の主義に立つマルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を著したのは、素直に考えて奇妙な話だよね。
さて、この疑問を解くカギは、学問的な次元にはなく、むしろ政治的な次元にあるんだ。そもそも「共産党宣言」は、共産主義者同盟という政治組織の綱領だということを忘れちゃいけないよ。組織の名前が共産主義なんだから、その綱領に「社会党宣言」なんて名前は付けないもんね。しかも、この共産主義者同盟という組織は、それ以前の社会主義運動から分派した組織なのだ。だから、マルクスとエンゲルスは、自分たちの方針を既存の社会主義運動と区別するために、社会主義とは別の名称を必要としていたんだ。マルクスやエンゲルスは、単なる学者ではなかった。彼らの最優先課題は、学問的な探究ではなく、現実の社会改革だ。マルクスは、カベー流の共産主義を強く非難していた。それなのに、マルクスはカベーと同じ共産主義者を名乗った。マルクスにとって、カベー(あとはモーアやカンパネラとか)と自らを区別することよりも、既存の社会主義運動と自らを区分することの方が、ずっと重要だったんだろうね。その辺の事情を酌んであげないと、マルクスの言動を正しく理解することは難しいというわけ。まったく困ったもんだ。
【共産主義とは理想郷願望である】
社会主義と共産主義を、政治的な事情を抜きにして、社会科学的見地から分類してくれたデュルケムは、徹底した学者だった。デュルケムは、プラトン、トマス・モーア(1478年生まれ)、トマーゾ・カンパネラ(1566年生まれ)といった人々を、共産主義者に分類した。見ればわかるとおり、古い人たちばかりだね。すなわち、デュルケムが共産主義者と見なしたのは、共産主義という語が、未だ今日的な意味を獲得していなかった時代の人々だった。そんなわけで当然のことながら、プラトンもモーアもカンパネラも、自らを共産主義者だと名乗ってはいないよ。だけど、カベーの思想を共産主義と見なすならば、上の三人は、同類、もしくはその先駆者といえるね。「私有財産制の否定と共有財産制の実現」という基準を遡及的に適用すれば、プラトンやモーアやカンパネラもまた、共産主義者の側に分類できるんだろう、という事だ。
そんなわけで、共産主義に含まれるのは、プラトンの説いた理想国家に始まり、トマス・モーアの「ユートピア」やトマーゾ・カンパネラの「太陽の都」、そしてエチエンヌ・カベーの「共産主義的信条」や「イカリア旅行記」に至る思想系列ということになる。それらに通底する着眼点は、「理想」や「ユートピア」だ。だけど、金儲けの私利私欲から解放された汚れなき理想郷など、この下界には実在しないよね。だからカベーは「イカリア」という架空の国を持ち出した。(イカリア旅行記の初版は1940年に刊行されたもの)
元来の共産主義は、私有財産なき理想郷を夢見るような思考を指す。だけど、後に社会主義勢力が大きく二つに分裂したとき、一方の党派が共産主義の旗印を掲げるようになった。マルクスの共産主義はこれにあたるわけなんだ。この事情を勘案すれば、マルクスの思想の中身自体は、あくまでも社会主義の一種だと見なす方が自然だね。
しかしながら、マルクスとカベーが、同じ時代に同じ共産主義という語を使ったことで、人々の理解は大いに混乱してしまった。1970年代になってさえ、カンボジアの旧ポル・ポト政権は近代的な共産主義と伝統的な理想郷願望とを混同し、通貨の廃止や私有財産の禁止という無茶苦茶な政策を打ち出したわけで、この種の混乱はまだ終わっていないということさ。現に広辞苑は混同していたわけだからね。
古い系列の共産主義が、内容的にサン・シモンやマルクスの主張と似ているように見える人も、たしかにいるかもしれない。ところが、両者は似ているどころか正反対の思想だよ。古い共産主義は、その根底において、禁欲的な清貧の道徳を旨としていた。物欲は、不道徳の根源だというんだ。一方で、サン・シモンやマルクスは、物質的な豊かさを否定しない。それどころか、生産活動を人々の生活を豊かな方向に統制することが、両者の理論の主眼なんだから。これこそが社会主義だ。
ただ・・・マルクスの共産主義を社会主義と同類だとするならば、逆もまた然りなのも事実だよ。
すなわち、社会主義はマルクスの共産主義と同類だってね。
それなら、区別に意味なんて無い、かもしれない。
だから究極のところは、どちらの語を用いるのかは恣意的なものだ、といえるのかもしれない。
ただ、夢物語的な共産主義が、現実に存在する以上、それとの区別を明確にするため、社会主義という語を中心的に用いた方が、誤解や混乱が少なくなるはずなんだ。
次回は何にしようかちょっと迷ってるので間が空くかもね。
そろそろ終わろうか?
それじゃあまた会う日まで!
До свидания!
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え?共産主義は社会主義の高次元段階だって?
わかったわかった。もう少しだけ補足しよう。
かつて旧ソビエト連邦では、資本主義を克服した未来社会の第一段階が社会主義であり、さらに発展した高次の段階が共産主義だという説明が広く使われていた。すなわち、資本主義→社会主義→共産主義という、段階的な発展図式だね。
しかしながら、こんな筋書きは、創作的な空想物語の見本だとしか言いようがないほど、荒唐無稽な主張だ。
そもそも、この種の段階的発展論は、ロシア革命に際してレーニンが著した「国家と革命」に端を発するものだね。この「国家と革命」は、きわめて党派的かつ政治的な著作であって、学問や教養を深めるために書かれたものではない。
細かな詳細や経緯については、今後歴史を追っていく中で説明できると思うけど、いずれにせよ、共産主義が社会主義の高次元段階であるといった論法には、はじめから大した根拠なんてなかったんだよ。
Здравствуйте!
ヴェールヌイだ。
今回は私の気まぐれで会話形式で書いてみたよ。
うちの国の人物が登場して小芝居するけど、内容はあくまで、これまで通り現実の社会主義の解説だからね。評判が悪かったらすぐ辞めるよ!
今回はインターナショナルの話をしてみようと思う。良かったら読んでってね!
登場人物
オベルタス・スヴィトラーナ評議会議長
タマラ・ギンツブルク化学工業省 課長
ギンツブルク「―というわけでして、先の隕石災害で生じた雇用問題は工業都市の順調な復興により、数カ月内に改善される予定です。続いて共和国の軽工業の展望についてでありますが―」
スヴィトラーナ「(´-ω-)´zzz」
ギンツブルク「・・・・あの、議長同志?ぎちょーどーしー?」
スヴィトラーナ「(´σд-。)あ、おわりました?」
ギンツブルク「ちょっ・・寝てました?まさか寝てました?」
スヴィトラーナ「寝ちゃいけないんですか!?国家元首は激務なのですよ!文句があるなら国家反逆罪でMнBに通報しますよ?!」
ギンツブルク「」
スヴィトラーナ「・・・うふふ、冗談です。いえね、ちょっと考え事をしていたらウトウトとしてしまって・・・ごめんなさい」
ギンツブルク「はぁ、考え事ですか」
スヴィトラーナ「ほら、もう社会主義国も我が国だけになってしまったでしょう?世界の同志達はどうしてるのかなー♪って」
ギンツブルク「どうしてるのかなー♪って言われましてもね・・・どうもしてないんじゃないですか。フリューゲルインターナショナルも機能してませんし」
スヴィトラーナ「フリューゲルインターナショナル?」
ギンツブルク「え、ちょっ、議長同志FSI知らないんですか」
スヴィトラーナ「ぇ・・・...あ、ぁあ!えふえすあいね!勿論知ってる!容積率(floor space index)のことでしょ!」
ギンツブルク「(さすが職業訓練校でタイル作ってた女だ)違いますよ!労働者・労働運動・社会主義運動の国際組織です!」
スヴィトラーナ「(・3・)?」
ギンツブルク「(だめだ、はやくなんとかしないと)」
スヴィトラーナ「そんな組織ありましたっけ?社会主義運動の国際組織なら素晴らしいことじゃないですか。是非活用しましょ!」
ギンツブルク「一口に社会主義運動といっても色々ありますからね。なかなか簡単なものではありませんよ」
スヴィトラーナ「もう、なによそれ。・・・ちょうどいいわ。あなた詳しそうだから説明しなさい」
ギンツブルク「(さっき話してたら寝てただろ)うーん・・・じゃあまず現実のインターナショナルについてお話しましょう」
スヴィトラーナ「 (*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ」
【一枚岩では無かったインターナショナル】
ギンツブルク「社会主義が、一部の者の思想や活動の域を超えて、大きな運動へと発展していけばいくほど、それは複雑で矛盾に満ちた現実と直面せざるを得なくなったんです。この意味で、第一インターナショナルの結成は、ヨーロッパの社会主義運動にとって一つの転換点となりました。大雑把に言うと、社会主義が労働運動の中に入り込んでいくきっかけになったんです」
スヴィトラーナ「社会主義の思想や運動と、労働運動は別物だって話は前に聞いたけど、そのインターナショナルってのができて一緒になったってわけなの?」
ギンツブルク「もちろん、まったく一緒にはなりえませんけどね。歴史的事実を確認してみますと、1864年9月に「国際労働者協会」の結成が決議されました。これが後に第一インターナショナルと呼ばれる組織です。その創立宣言と暫定規約を執筆したのは―」
スヴィトラーナ「知ってる!カール・マルクス!」
ギンツブルク「そうです。当時イギリスに亡命していたマルクスでした」
スヴィトラーナ「さすがマルクスだわ。彼の科学的社会主義は、我が国の純粋社会主義のお手本だもの!」
ギンツブルク「けど結成集会の時にはいなかったんですよ」
スヴィトラーナ「(・3・)え?そうなの?」
ギンツブルク「結成集会自体は、その二年前のロンドン万博で交流をはじめた英仏両国の熟練労働者達が、国境を超えた労働者の連帯を呼びかけて招集したものなんですよ。だから創設メンバーの大半は、英仏の上層労働者達であって、困窮している一般労働者ではなかったんです」
スヴィトラーナ「それじゃあ社会主義を志向なんてできるわけないわね」
ギンツブルク「そうです。当初は万国の労働者の連帯を目指しこそすれ、社会主義的なものではありませんでした。しかし、設立直後に設けられた臨時中央評議会において中心的な役割を演じたのは、少し遅れて参加したマルクスだったというわけなんです。かくしてこの評議会では、彼の手で創立宣言と暫定規約が採択されることになります。それらの文章は、第一インターナショナルに社会主義色を与えたと同時に、この組織を熟練労働者層の直接的利害から遠ざけるものでもありました。その結果、第一インターナショナルは必ずしも一枚岩でない組織となってしまいます」
スヴィトラーナ「労働運動と社会主義運動は違うものね。社会主義だけでも色々あるんですもの」
ギンツブルク「そもそも、マルクスとエンゲルスは1848年の時点で「共産党宣言」を執筆していますからね。これはフランスのフーリエやサン・シモン、イギリスのオーウェンらと区別する為に、あえて社会主義という用語を避けて、共産主義者を名乗ったものです。これは要するに、第一インターナショナルが結成される15年以上も前から、社会主義の理論や思想といったものが、労働者階級の与り知らない世界で多様化してたってことです」
スヴィトラーナ「社会主義が豊かにすべき労働者を置いてきぼりにして、知識人の中だけで喧嘩してたってことなのね・・・なんだか腑に落ちないわ」
ギンツブルク「それでも、この第一インターナショナルの結成が契機となって、社会主義が労働運動の中に入り込んでいったってことは事実なんです」
スヴィトラーナ「社会主義運動や労働者運動の努力によって、労働者階級が権利を獲得していくのね!素晴らしいわ!」
ギンツブルク「まぁお決まりの物語ではそういうことになるんですけど、実はそう単純な筋書きにはならなかったんですよ」
スヴィトラーナ「(・3・)?」
【皇帝による法改正】
ギンツブルク「実際、フランスで労働者の団結権やストライキ権が認められたのは、第一インターナショナルが結成される四ヶ月前のことでした」
スヴィトラーナ「えっ」
ギンツブルク「1864年5月の「オリビエ法」によって、刑法の一部改正が行われ、労働者の団結権やストライキ権が、条件付きではあったのですが、処罰の対象から除外されたんです。これによって1791年のル・シャプリエ法以来の、団結禁止法が無力化されて、同業組合や同職団体も容認されるようになりました。しかし、そこに社会主義運動や労働運動の成果があったわけじゃないんですよ。法改正を行ったのは皇帝だったんですから」
スヴィトラーナ「そんな・・・ぁ、もしかして「皇帝社会主義」っていう」
ギンツブルク「そうですね。ナポレオン三世の皇帝社会主義の産物です。皇帝社会主義の話は機会があれば別にしましょう。とにかくですね、この刑法改正は、ストライキ権を単に個人の権利として認めたに過ぎないものだったんです。つまり、ある個人がストライキを実行したとしても、法的には罰せられないことになったと。その一方で、労働組合が組織的に、つまり組合員を拘束して、ストライキを実施することは認められません。この思想は完全に自由主義的と言えるでしょうね」
スヴィトラーナ「なんで自由を奪ってるのに自由主義になるの?おかしいじゃない」
ギンツブルク「つまりですねぇ・・・「自由な個人」たる労働者に対して、公権力がストライキを禁じることはできないと」
スヴィトラーナ「当然よ!」
ギンツブルク「じゃあ勿論所属組織がストライキを命じることも出来ないってことですよ」
スヴィトラーナ「あ・・・」
ギンツブルク「いずれにしても、労働者の団結権やストライキ権は第一インターナショナルの成果じゃありません。そもそも第一インターナショナル自体が、元をたどればナポレオン三世の後押しによって結成された組織なんです。これは厳然たる事実です」
スヴィトラーナ「ぅぅぅ・・・現実から目を逸らしちゃいけないってことなのね」
ギンツブルク「そうですね。大切なことは、歴史的事実に基いて社会主義を論じることであって、社会主義思想に基づいた歴史を書き上げることではないってことです」
スヴィトラーナ「そういうことかぁ・・・っていうか貴方さっきから偉そうなんだけどなんなの?!」
ギンツブルク「」
~続く~
スヴィトラーナ「なるほどねぇ・・・とにかく、そのオリビエ法っていうのが認めた団結権やストライキ権というのは、困窮した一般労働者や移民労働者の為じゃなかったわけね。それじゃあ一体何のためだったのかしら」
ギンツブルク「想定していたのは熟練技術を持つ職人層の団体ですね。ナポレオン三世は、発言能力のあるエリート労働者層を体制に取り込もうと考えた。上からの独裁的な指導によって、労働者階級を社会主義的な体制に統合しようとしたんです」
スヴィトラーナ「小賢しいぃぃ~許せないわ!そんなの、制度が社会主義的であったとしても、労働者の主体がないんじゃ、貧困層の富は増えないかもしれないじゃない!皇帝をプロレタリアート(賃金労働者階級、無産階級とも)に挿げ替えないといけないわね!」
ギンツブルク「人はそれをプロレタリア独裁といいまして、20世紀に誕生した社会主義国と同じです。その結果は悲惨でしたね(ニッコリ)」
スヴィトラーナ「ぐぬぬ」
【一般労働者によるストライキの頻発】
ギンツブルク「まぁしかし安心してください。この皇帝社会主義の思惑は、少なくとも結果的には大ハズレします。ナポレオン三世の算段に、第一インターナショナルの側は、まったく付き合いませんでした。そして「政治権力の奪取が労働者階級の第一の義務」と規約に明記したんです。すなわち、現体制内で労働者階級の地位を確立するのではなくて、あくまで政治権力の奪取を謳ったと。マルクスの発想なら、当然そうなりますね」
スヴィトラーナ「さすがマルクス!頼れる~」
ギンツブルク「おまけに、条件は限られていたとはいえ、オリビエ法によって団結権とストライキ権を手にしたフランス労働者たちは、熟練層に限らずストライキを頻発させました。しかもそれは、時に攻撃的な性格を帯びたものになり、治安当局と衝突して、銃撃されて多数の人々が亡くなる事態まで発生してしまうんです。(1歳の子供が犠牲になった例もある)皇帝にしてみれば懐柔策のつもりだったのに、これでは大惨事ですね」
スヴィトラーナ「犠牲者の方には気の毒だけど、やっと労働争議っぽくなってきたじゃない」
【マルクスの戦略に利用された労働争議】
ギンツブルク「そのうち最も画期的な出来事は、リヨンの工場が起こした大規模争議でしょうね。争議の参加者の殆どが女性の下層工員であり、しかもその大半は農村出身か移民労働者だったんです。それでいて、何と一ヶ月以上にも亘って繰り広げられました」
スヴィトラーナ「なんだかシンパシーを感じる・・・」
ギンツブルク「(そりゃあんたの経歴を考えた時の元ネタだからな)マルクスはこの機会を見逃しませんでした。ストライキの指導者であったフィロメンヌ・ロザンを、この争議が起きた1869年9月の第一インターナショナルのバール大会に招こうとしたんです。これ自体は実現しなかったんですけど、手詰まり状態になっていたストライキ参加者たちは、国際的な組織の後ろ盾を得たことで、一応の成果を獲得することができました。この出来事を機に、リヨンの同工場の委員会は第一インターナショナルの支部組織になります」
スヴィトラーナ「ぉぉーつながってきたわね」
ギンツブルク「庶民層女性による社会運動の先駆けであったと同時に、社会主義が、フランスの労働運動に入り込んで行く重大な転換点となったんです。まさに画期的出来事でした」
スヴィトラーナ「( ̄ー ̄)ふふん」
ギンツブルク「この頃から、フランスをはじめ、大陸諸国の労働運動は、社会主義と不可分な形で発達していきます」
スヴィトラーナ「さすがマルクス!」
ギンツブルク「あ、けどそれは必ずしもマルクス主義ではありませんでしたけどね?議長同志はマルクスお気に入りみたいですけど、社会主義の歴史を、マルクスやマルクス派の記述ばかりに依拠して理解しようとすると危険ですよ。特に1871年のパリコミューンに関しては、その良い例です」
スヴィトラーナ「パリコミューン?」
~パリコミューン編に続く~
社会主義のお話
神話となったパリコミューン(前編)
1871年3月18日~5月28日の72日間にわたり、パリに樹立された革命的自治政権。普仏戦争にフランスが敗れた際、パリで小市民・労働者が民衆軍を結成し、臨時政府・議会に対抗して組織。敵国プロイセンの支援を受けた政府軍の攻撃により「血の一週間」の戦闘後壊滅。マルクスが高く評価し、その後の社会主義運動・理論に影響を与えた。
『広辞苑』第六判「パリコミューン」
国防政府のプロイセンとの和平交渉に反対し、同時期にフランス各地で蜂起したコミューン(la Commune)のうち普仏戦争後の1871年3月26日に、史上初の「プロレタリアート独裁」(マルクス)による自治政府を宣言した。このパリ・コミューンは約2ヶ月でヴェルサイユ政府軍によって鎮圧されたが、後の社会主義、共産主義の運動に大きな影響を及ぼし、短期間のうちに実行に移された数々の社会民主主義政策は、今日の世界に影響を与えた。
wikipedia日本語版「パリ・コミューン」より抜粋
【マルクスによる栄誉】
スヴィトラーナ「なんでここに広辞苑があるのかわからないけど、概要はわかった。これもまた画期的な出来事だったのね」
ギンツブルク「しかしですね、このパリコミューンというのは、机上の社会主義思想と、社会主義の歴史的現実の落差を振り返るには最も適した題材でもあるんです」
スヴィトラーナ「そうやってまた社会主義の幻想を打ち砕こうとするのね・・・」
ギンツブルク「議長同志、「幻想」って自分で言っちゃってますよ。まぁその、パリコミューンは、何万人もの一般庶民を犠牲にしたという意味では重要な出来事でした。ですけど、これだけはあえてはっきり言わせてください。1871年のフランスで、一般の賃金労働者が自らの意思で革命政権を打ち立てるなど、絶対に、ぜっっったいにありえません!」
スヴィトラーナ「ぇえー!だって辞書にはそう書いてあるじゃない!あなたなんなの!?ちょっと反社会主義が過ぎるんじゃない?」
ギンツブルク「と、とんでもありません!社会主義の価値そのものは否定されるはずがありません!ですから私は、逆に社会主義の真価を知るためには、古い神話的呪縛から離れて歴史を見直すべきだと申し上げているのです!パリコミューンは、神話化されてしまったものの代表なんですよ!」
スヴィトラーナ「(´;ω;`)そんな大っきい声出さなくてもいいじゃん・・・」
ギンツブルク「ぇ、あ、え・・・」
スヴィトラーナ「いいから続けて・・・」
ギンツブルク「は、はい・・・(やりにくい)パリコミューンの名は、高校の世界史教科書にも登場することもありまして、広く知られている有名な出来事です。1990年台に始まる学習内容の大幅な削減にもかかわらず、パリコミューンの語は、薄っぺらになった教科書にも残すに足る重要事項だと見なされているのです」(もちろん日本の話ですよ)
スヴィトラーナ「だから重要なのは間違いないんでしょ」
ギンツブルク「マルクスは1871年に執筆した「フランスの内乱」の中で、パリコミューンを賞賛し、次のように述べました」
労働者のパリ、ならびにパリコミューンは、新たな社会の光輝ある先駆者として永遠に讃えられるべきであろう。その殉教者たちは、労働者階級の偉大な胸の内に大切に祭られている。
ギンツブルク「マルクスの筆によって、パリコミューンは「永遠に讃えられる」べき栄誉を授けられ、以後の労働運動や革命運動に大きな影響を与えるようになりました。ですがこの「フランスの内乱」なる著書は、「資本論」などとは異なり、教養書や学術書ではなく、政治的意図に満ちた文書です。実際ですね、フランスで出版されているフランス史の本を見ても、パリコミューンは特に大きな扱いをうけていませんからね」
スヴィトラーナ「ぇ、そうなの?誇りそうなものなのに」
ギンツブルク「客観的な事実として、首都だけで起こった72日間の出来事に過ぎないんですよ。それではパリコミューンを取り巻く歴史的事実について、相対的な視座から振り返ってみましょう」
スヴィトラーナ「やだ振り返りたくない・・・」
【普仏戦争】
ギンツブルク「1870年7月19日、ナポレオン三世統治下のフランスは、プロイセンに宣戦布告しました。いわゆる普仏戦争の勃発です。この戦争の引き金はご存じですか?」
スヴィトラーナ「詳しくはないけど・・・たしかスペイン王家の継承問題よね。だから(中の人が)王政国家はやりたくないのよ。おんなじ人間に身分も何もないのに、みっともないわ」
ギンツブルク「まぁ根底には、ドイツ統一を目指すプロイセン王国と、それを阻止しようとするフランスとの葛藤があったんですけどね。ナポレオン三世にすれば、ドイツが統一されて大国化するのは、重要な懸念事項だったということです」
スヴィトラーナ「そんな他者の都合で、分断されている国はいまでもあるものね」
ギンツブルク「マルクスは、「万国のプロレタリアよ団結せよ!」と叫ぶ一方で、普仏戦争に反対しませんでした」
スヴィトラーナ「それはおかしいわね。社会主義や共産主義の思想は、単なる国家指針ではないのよ。国境を超えた世界観ですし、戦争の廃絶も重要な目的なんだから」
ギンツブルク「マルクスもその目的を否定したわけじゃありません。しかし、その目的を達成するには、あらゆる現実的な戦略を駆使して、まず革命を起こすことが先決だと考えたんです。そのためには、戦争すら手段のひとつに過ぎなかった・・・事実、マルクスは普仏戦争でプロイセンを支持しています」
スヴィトラーナ「パリコミューンを賞賛したのに、その弾圧を支援したプロイセンを戦争では応援していたっていうの?!」
ギンツブルク「その通りです。マルクスは、ドイツ諸邦が統一されて、ひとつの大きな国民国家になるほうが、大規模な階級闘争を展開しやすいと考えたんです。だからといって、この考え方が、フランスの社会主義者や労働者たちの共感を得られるでしょうか?」
スヴィトラーナ「得られるわけないわよね・・・」
ギンツブルク「まぁ、そうなりますね」
【パリコミューンへの動き】
ギンツブルク「ともあれ、普仏戦争は、ドイツ諸邦を味方につけたプロイセン側が、7月の開戦直後からフランス側を圧倒し、ナポレオン三世自身も、セダンの戦いに破れ、捕虜として収監される破目になります。この知らせがパリに届くと、激怒した民衆が暴徒化し、ブルボン宮殿(現在の国民議会議事堂)を占拠してしまいました。そして、その場で演壇にたったレオン・ガンベッタが帝政の失効を宣告すると、共和派の代議士たちはパリ市庁舎に集まり、そこで共和国及び国防政府の樹立を宣言したのでした」
スヴィトラーナ「ナポレオン三世・・・哀れなものね」
ギンツブルク「ここからパリコミューンに向けた一連の動きがはじまることになります。頭脳明晰なマルクスがこの機会を見逃すはずがありません。普仏戦争の勝敗が確定的となり、ドイツの統一が時間の問題になると、もうプロイセン側を支持する理由はなにもありませんから、次なる課題は、このパリでの動きを、いかにして自身の戦略に結びつけるかということになります」
スヴィトラーナ「なんだかマルクスが怖くなってきたんだけど」
ギンツブルク「このような次第で、マルクスはプロイセンの領土割譲要求を非難するとともに「フランスの内乱」の冒頭で次のように述べることとなるのです」
1870年9月4日、パリの労働者たちは共和政を宣言した。それはほぼ即座にフランス全土で、一つの異議の声もなく歓呼の声で迎えられた。
ギンツブルク「なんて言ってますけど、ガンベッタ自身は富裕商人の息子であって、労働者でなければ労働者階級の出身でもない。しかも、このフランス人の「歓呼の声」とやらも、愛国的な感情に煽られたものではあるでしょうけども、社会主義や共産主義の思想に基づいたものではありませんからね。実際、ガンベッタの主張はプロイセンに対する徹底抗戦だったんですよ」
スヴィトラーナ「主導者が労働者階級でなくたって、一般大衆も含む、国民が一致団結して共和政を支持したっていってるんだから良いじゃないの」
ギンツブルク「冷静に考えてみてください。まだ初等教育も始まっていなくて、第一次産業で生計を立てる国民が過半数を大きく超えていた時代に「ひとつの異議もなく「歓呼の声で迎えられた」訴えって、一体なんなんでしょうね?」
スヴィトラーナ「それは・・・」
ギンツブルク「まぁ、ともあれです。二週間も経つとプロイセン軍の包囲にパリも危うくなってきます。これに対する国防政府の態度は、(ガンベッタの意思はともかくとして)徹底抗戦を望むパリ市民の期待に応えるものではありませんでした。どのみち敗戦濃厚なのですからね。そうなってくると、国防政府はむしろ敵軍よりもパリ民衆の方に懸念を募らせていくことになります」
スヴィトラーナ「なんだかあっけない展開ね。信念ってものが足りてないのよ!」
ギンツブルク「もっとあっけない話が後編にありますのでお楽しみにしてください」
スヴィトラーナ「ぇぇー・・・」
【国民軍結成】
ギンツブルク「そんな経緯で、パリでは自主的に祖国を防衛しようという機運が高まり、国民軍への志願者が急増していました。ちなみに当時のパリでは、国民軍のメンバーだけが武装していたようではないようでして、一説によると、国民軍も含めて武装した住民の総計は 約50万人に昇ったとか。現実として、数十万人の一般人が民兵化していたのです」
スヴィトラーナ「理由や意図はわかるけど、それでも異様な光景だったでしょうね」
ギンツブルク「この想定外の事態に対して、国防政府の樹立を宣言した代議士たちでさえ、強い警戒感を抱かざるを得ませんでした。パリの状況は極度に緊迫していたと言えるでしょう。マルクスは、国防軍を賞賛する一方で、国防政府を強く非難していました。その解釈はかなり戦略的なものでしたが」
スヴィトラーナ「戦略的なもの?」
ギンツブルク「歴史的事実に照らす限り、国民軍の一般兵士が政治的な革命意識を強く抱いていたとは考えにくいんです。実際、国民軍の指導者たちが、国防政府を非難して兵士たちに蜂起を呼びかけますが、民衆層はまったく反応しなかったので、空振りに終わっています。マルクスが著した「フランスの内乱」は、この客観的事実に関して、明確に言及を避けています」
スヴィトラーナ「労働者たちの功績のように賞賛していたのに、革命に無反応だったというのは確かに都合が悪いわね」
ギンツブルク「そんなこんなで、ドイツの再統一が宣言されると同時に、フランスの国防政府はプロイセンとの休戦協定に応じてしまいます」
スヴィトラーナ「けどそれには民衆は怒りだすんじゃなくて?徹底抗戦を望んでいたって言ってたわよね」
ギンツブルク「ですので、この際パリに関しては、武装した民衆を刺激しないようにということで、一種の例外的な処置が取られました。パリの国民軍は、自ら二億フランの賠償金を支払うことと引き換えに、その武装解除を免れたんです」
スヴィトラーナ「ぇ!?どういうこと?」
ギンツブルク「不可解ですよねぇ。しかも一体どこからそんなお金が出てきたんでしょう?もちろん、困窮する庶民たちが払ったわけではないでしょうから・・・?」
(後編に続く)
スヴィトラーナ「エルツがプロイセンで、フランドル市民軍はパリの国民軍、フランドルの政府は国防政府・・・ちょっと展開が似てたわね」
ギンツブルク「ぐ、偶然でしょう・・・。ととと遠くから見れば同じように見えるが、近くから見ると細部が違う!」
スヴィトラーナ「・・・まぁいいけど。さ、早く続きを話してちょうだい」
社会主義のお話
神話となったパリコミューン(後編)
【民主主義の拒否】
スヴィトラーナ「とりあえず、不審な点だらけではあったけど、プロイセンとの休戦後も、徹底抗戦を望んだパリの国民軍は存続したのね」
ギンツブルク「そうですね。ただししばらくすると、徹底抗戦派のガンベッタが国防政府を追われてしまいますし、続く国民議会選挙では、パリの期待とは裏腹に、地方部で得票を伸ばした守旧派が勝利します。そして、アドルフ・チエールを首班とする国民議会が、パリを避けてボルドーで成立し、パリの国防政府に取って代わってしまうのです」
スヴィトラーナ「うーん・・・こうなってくると、フランスの国内情勢は、反パリかつ反徹底抗戦へと向かわざるを得なくなってくるわね」
ギンツブルク「その通りです。事実、新政権の首班となったアドルフ・チエールは、プロイセンとの講和に向けた予備条約も締結しますからね。そして、守旧派を主力とする新議会は、ベルサイユに居を移し、対独講和の完結とパリの平定を急ぎ始めます」
スヴィトラーナ「平定といっても、数十万人の一般人が民兵化してるのを、上手く収拾できるのかしら」
ギンツブルク「ぇぇ、パリの方も黙ってはいなかったですね。前回「国民軍の指導者たちが、国防政府を非難して兵士たちに蜂起を呼びかけた」という話をしましたけど、国民軍の指導者たちは、なんとか抵抗を組織化しようと、これをもう一度試みました」
スヴィトラーナ「ふーん。けど前回は民衆にそっぽ向かれたのに、同じじゃないの?」
ギンツブルク「このことについて、マルクスは以下のように語っています」
国民軍は自らを再組織し、旧ボナパルト派の若干の残存部隊をのぞく全部隊によって選出された中央委員会に最高指揮権を委ねた。
スヴィトラーナ「へぇ、一応再組織化できたんじゃない」
ギンツブルク「この記述そのものは、歴史的事実に基づいたものです。ただし、国民軍の中央委員会に最高指揮権を委ねるという行為が、はたして何を意味しているのかということは良く理解しておく必要があります。結局のところ、その行為は、一都市の民兵組織が、普通選挙に基いて合法的に組織された議会を否定したってことです」
スヴィトラーナ「選挙に負けたから、武力に訴えるみたいなことかしら」
ギンツブルク「極端に言えばそういうことですよ。名実ともに非合法化してしまいました。ちなみに、勿論と言うべきか、これら一連の動きの背後には第一インターナショナルからの働きかけがあったわけです。この働きかけがなければ、パリコミューンが生まれることもなかったと言えるでしょう」
スヴィトラーナ「その働きかけには、前回と違って民衆は賛同してくれたってわけ?なぜかしら」
ギンツブルク「何度も言うように、当時の民衆層が民主主義や社会主義といった思想に共鳴したなんてことはありません。実際問題として民衆層を刺激したのは、ベルサイユに居を定めた合法的な新政権が、家賃の支払い猶予を停止したうえ、国民軍兵士の日当を原則的に廃止したことなんです。パリの民衆にとっては、思想や主義主張がなんであれ、兵士日当の廃止は死活問題です。逆に、だからこそ新政権の側は、日当を廃止することで、カネ目当てで国民軍に参加する者は激減するだろうと考えました。明らかに、パリ国民軍の武装解除を進めるための政策だったわけです」
スヴィトラーナ「けどそれも、民主的な手続きを経た政権のいうことには変わりないんだものね。それを拒否してしまうということは、その後が大変なことになりそう」
【パリの一時的勝利とコミューン議会】
ギンツブルク「かくして、1871年3月18日がやってきます。この日の早朝、政府側は、国民軍が所有する227門の大砲を接収しようと、モンマルトルの丘に軍を進めます。ですが、これに対して号鐘に呼び覚まされた群衆(女性も多かった)が、政府軍の動きに敢然と抵抗したのです。ちなみに、マルクスによると以下のようになります」
3月18日の夜明け、パリは『コミューン万歳!(Viva la Commune!)』という雷鳴のような叫びで目をさました。
スヴィトラーナ「雷鳴のような叫びを起こそうと思ったら、その前に人々が目を覚ましてないといけないんじゃないの」
ギンツブルク「言わないお約束です。ともあれ、この日の朝、パリの民衆は蜂起の呼びかけに応えたのです。ただそれで激闘が開始されたわけではないですけどね。政府軍の兵士たちははじめから戦意を欠いており、あっさり投降したばかりか、パリの民衆に共感する者さえ現れる始末でした。その結果、政府軍の指揮官は直ちに群衆に捕らえられ、その日の内に銃殺されてしまいます」
スヴィトラーナ「なにそれよわっ!」
ギンツブルク「この事態に慌てた政府は、全部隊に対してパリからの退却を指示せざるを得ませんでした。そして、日が暮れるころには、市庁舎に集結したパリ国民軍の中央委員会が、図らずも首都の支配権を掌握することとなったのです。正当な自治政権を組織する必要に迫られた中央委員会は、翌19日、いわゆるコミューン議会のための選挙を、同月の26日に実施すると発表しました。そして予定通りに投票が行われ、当初の92議員が選ばれました。著名人としては、裕福な地主の家に生まれた画家のクールベが、第六区選出議員として、その中に含まれていましたね。ちなみに、マルクスによると以下のようになります」
スヴィトラーナ「またでた」
コミューンは、フランス社会の健全な要素を真に代表し、したがって真に国民的な政府だったのだが、しかしそれと同時に労働者の政府として、労働を解放する大胆な戦士として、まさに国際的であった。
ギンツブルク「ま、コミューン議会のメンバーは、労働者層の議員は間違いなく半数未満だったんですけどね」
スヴィトラーナ「ちょっと何言ってるかわかんないわね」
ギンツブルク「しかも、コミューン議会選挙の投票率は異様に低くてですね、47%強に過ぎなかったんですよ」
スヴィトラーナ「あら、やっぱり民衆は無関心だった?」
ギンツブルク「というよりも、有権者の多くがパリを脱出してしまっていたんですよ。18日以後、富裕層や官吏を中心に、多くの人々が動乱や混乱を恐れて、続々とパリから逃れていきました。(主にベルサイユへ)要するに、自治政権の樹立に反対する人々は、そもそも投票していなかったということになりますね。あ、あと付け加えると、有権者でいえば47%ですが、住民の人口比でいくと13%弱の民意で成立した感じになります」
スヴィトラーナ「なんだか目眩がしてきたわ」
ギンツブルク「それでもマルクスによれば『国際的』で『真に国民的な政府』なんですってさ」
スヴィトラーナ「もうやめて・・・」
【あっけない崩壊が意味するもの】
ギンツブルク「何にしても、選挙二日後には、市庁舎前広場に集まった人々を前に、中央委員会のメンバーでもあるランビエ議員が、パリの自治を担う政権が誕生したことを高らかに宣言しました。ちなみに、その時響き渡った歌声は、いつもと同じフランス国歌(La Marseillaise)でした。あ、ここでまたマルクスの言葉を紹介します」
スヴィトラーナ「ちょっ!やめてって言ってるでしょ!」
旧世界は、労働共和国の象徴である赤旗が市庁舎の屋上にはためくのを見て、怒りの発作に身悶えしたのである。
スヴィトラーナ「社会主義や共産主義を象徴する旗なんだから、それでいいじゃないの!なにか文句あるの?!」
ギンツブルク「いや、たしかにパリコミューンは赤旗を標識にはしていたんですけど、別に『労働共和国の象徴』であるが故に採用したものではないので・・・。逆に、マルクスがそう言ったから、その意味で有名になったという方が正しいですね。第一インターナショナルにしても赤旗を標識にしてたわけじゃないですし、赤旗自体は労働者階級が形成される以前から存在していましたしね。現代の私達の感覚で、この赤旗を見ては、認識がズレるということです」
スヴィトラーナ「ヽ(`Д´#)ノ ムキー!!」
ギンツブルク「さて、そろそろ終盤です。承知の通り、パリコミューンは5月21日から28日の『血の一週間』によって幕を閉じます。けど、実は内部崩壊は4月の初旬からはじまっていました。実際、パリの国民軍も離脱者が続出したことで、その頃には兵力が激減していました。前年に国民軍の勢力が急拡大したのは、あくまでも祖国防衛という愛国的な動機に支えられてのものだったからです」
スヴィトラーナ「よく考えてみれば、数十万の国民軍を一週間で制圧ってすごいものね」
ギンツブルク「そうです。このとき、政府軍の兵力は13万、パリの国民軍は多く見積もっても約3万でした」
スヴィトラーナ「減りすぎぃ!」
ギンツブルク「数ヶ月前には兵力30万を数えたパリ国民軍の兵力は十分の一以下になっていたのです。この事実を直視すれば、パリコミューンに対する民衆の支持は、早々に失われていたと見るのが自然でしょう。要するに、社会主義者の大衆煽動は、完全に失敗に終わったということです」
スヴィトラーナ「南無三」
ギンツブルク「後に残ったのは、膨大な数の犠牲者だけでした。ちなみに、パリを殲滅し、2万数千人を虐殺した政府軍兵士の中には、パリ鎮圧に動員させることと引き換えにドイツ軍が解放したフランス人捕虜も含まれていたということです」
スヴィトラーナ「なんもいえねぇ」
ギンツブルク「口調おかしいですよ」
【エリートの犠牲になった民衆】
ギンツブルク「第一インターナショナルを始めとする社会主義勢力は、当初、素朴な愛国心を巧く利用することで、パリコミューンに対する民衆の支持を集めることに成功したのは事実ですね。結局、一般大衆を煽動して、一時的な喝采を演出するためには、単純かつ常識的な価値観に訴える手法が常に最も有効なんでしょうね」
スヴィトラーナ「逆に言えば、当時の民衆には社会主義や共産主義なんて、ほとんど別世界の関心事だったということなのね」
ギンツブルク「そうですね。そういう時代でした。それにも関わらず、労働運動の指導者や社会主義者たちは、パリコミューンに乗じてフランスの他の都市(マルセイユ、リヨン、トゥルーズ、ナルボンヌなど)でね同様の自治政権を樹立しようと画策しました。ことごとく失敗しましたけどね。パリコミューンの動きは地方住民からも共鳴されなかったと見ることもできるでしょう」
スヴィトラーナ「これに巻き込まれたパリの住民たちって、とても不幸だったということなのね」
ギンツブルク「マルクスは、パリコミューンの犠牲者について次のように述べています」
パリの住民が、ヴェルサイユ軍の進入後8日にわたって戦った際に示した自己犠牲的な英雄精神は、彼らの大義の偉大さを反映しているのだが、それと同様に、軍人たちの鬼畜行為は、彼らをその雇われ復讐者にしている文明に固有の精神を反映している。
ギンツブルク「あえて問います。パリの住民は、誰の犠牲になったというのでしょう」
スヴィトラーナ「それは・・・」
ギンツブルク「頭脳明晰なマルクスは、犠牲者に対して「英雄」だの「大義」だの「偉大」だのといった美辞をちりばめておくことを忘れていません。ですが、事実を直視してください。近代的な初等教育を受ける機会のなかった多くの人々が、自分たちとは無縁の学識をもつ人々に乗せられて、結局は殺された挙句、偉大なる英雄として奉られ、後々まで・・・そう、現代まで宣伝材料に供されることになったのです」
スヴィトラーナ「けど・・・それでも私たちは・・・そう、この一事例で、社会主義的な理論や知見が否定されるわけじゃないわ。現実の歴史は、理屈どおりにいかないものだって、そう思う」
ギンツブルク「・・・マルクスにしても、理論家や思想家であったと同時に、一つの時代の中で行動せざるを得なかった生身の人間だったということですね」
スヴィトラーナ「ちょっとショッキングな話だったけれど、歴史を客観的な事実に基いて冷徹に見る大切さが、なんだか少しわかった気がする」
ギンツブルク「19世紀後半という時代を、パリコミューンという出来事だけで意味付けしてはいけません。同じ頃、労働運動の先進地であるイギリスでは、マルクス流の革命思想とは別種の、非革命的な社会改良主義が台頭していました。また、第一インターナショナル自体も内部分裂を余儀なくされ、1872年9月には、事実上その幕を閉じることになりました」
スヴィトラーナ「あ、話つづく感じ?」
ギンツブルク「イギリスの社会帝国主義は―」
スヴィトラーナ「あーあーあー!今日はもうおしまい!疲れちゃったわ」
ギンツブルク「ぇー・・・」
スヴィトラーナ「昔話してる暇があったら、私達の純粋社会主義をいかに成功させるかを考えなさいギンツブルク同志!あなたの好きな昔話に学んで活かすのよ!」
ギンツブルク「じゃあ是非党幹部にしてください」
スヴィトラーナ「却下します!」
ギンツブルク「ぇー・・・」
パリコミューン編 完